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HANDS世田谷スタッフによる、
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季節の記憶 (中公文庫) 保坂和志の1996年に出版された小説。
鎌倉に住む父と息子の、特に何も起こらないごくありふれた日常が描かれているだけの話。しかし、父の息子への向き合い方や接し方、近所に住む家族との関係が、泣いたり笑ったりとは違う種類の静かで澄んだ感動をおぼえる。小津安二郎の映画のような、ごく日常に溢れる美しさがちりばめられている小説。

保坂和志の小説は、「何も起こらない」「ユルい」と評されることが多い。実際、彼の小説では、何も起こらない、誰も死なない、性描写もない。平坦な日常がただ描かれているだけだ。そしてその文章は、読点が永遠に続き一文が長い。慣れるまではリズムが掴みづらくダラダラした印象があり、それが一層ユルさを引き立たす。
彼の小説しか読んだことのない人は、彼を、彼の小説に出てくる主人公のように「ユルい人」だと思うかもしれない。しかし、エッセイを読めば、彼が、もしかすると他のどの小説家よりも哲学的で論理的な思想の持ち主だということに驚くと思う。そして、呆れるほどに小説のことしか考えていないことにも。

この小説も、彼の真摯に小説に向き合い、生きることを常に考えた末に生まれたものだと思う。しかし、一切の押し付けや教訓じみたところはない。徹底して存在しない。何も考えずに読めば、ただのユルい人達が出てくるダラダラしたユルい話だ。気楽に読める。
しかし、私たちがいつもの何気ない会話にも新しさや感動、尊敬を発見するように、彼らの何でもない日常からも同じような感情が自分の中に生まれてくる。
何の事件が起きないことと、何の心の変化がないことはイコールではない。

この小説の一番素晴らしいところは、父親の子供に対する姿勢と言葉だ。何よりも大切な本質的なことだけは手を抜かず徹底的に向き合う。一人の人間として話しかける言葉が、親や年長という位置でなく、「今はそれを君は知らないだけだよ。私は知っているだけだよ」という同じ目線にあることが、本当に素晴らしい。


保坂和志が、どうしてこのような形の小説を書いているのか。それは「書きあぐねている人のための小説入門」というエッセイからも分かる。これは、小説を書きたい人たちだけでなく、すべての芸術や創作活動をしている人たちに読んでもらいたい優れた芸術論だと思う。
そして、この本を読めば、「ユルい」だけだと思っていた小説が、どれほど「小説」という呪縛から自由になろうとしている小説かが分かると思う。

どちらも、お勧めの本です。
(yuka)
2011/10/21(金) 16:52 PERMALINK